長沙市岳麓山を巡り、中国人と交流する



岳麓山は長沙市内からほど近く、山全体が公園として整備されており、国の5A級景勝地に指定されている。ふもとには湖南大学があり、大学の門前には大きな毛沢東像があった。ここ長沙は彼の故郷だ。大学をさらに進むと岳麓山の登り口に着く。ここにはロープウエイがあるが歩いて登る人も多いようだ。

山中の史跡を訪れながらゆっくりと登った。写真の爱晚亭は清の時代(1792年)に建立されたもの。日本の国宝にあたる全国重点文物保護单位に指定されているが、実は日中戦争で破壊され1952年に再建された。ここ長沙の人々のこの史跡に掛ける思いを感じる。



1時間20分ほどで山頂に到着。山頂には雲がかかり下界はほとんど見えなかった。山頂から少し降りてくると、ようやく長沙市内が望める場所に着いた。
さて、今回の旅行で一般の人となかなか話すチャンスはなかったので、山から下りる途中、声をかける人を物色していた。だが、いざ声をかけようとすると、なかなか勇気がわかない。こういうことは物の弾みだ。
下山路を歩いていると、道の脇で木の実を拾っている女性がいた。同じ木の実を拾っている人が前にもいたことを思い出し、「这是什么?」と思わず声をかけた。すると、近くを歩いていた中年の男女がやってきて、この木の実についてやりとりが始まった。彼らは女性から木の実を受け取って味見をしていた。中国人は本当に気さくだ。
やりとりが終わって男女は下山を続け、私はすぐその後を歩き出した。私は彼らに近づき、日本から持ってきた森永のビスケットを取り出し、彼らに渡そうとして言った、「这是日本饼干」。すると、断られて逆に、ヒマワリの種の袋を開けて、取るように勧められた。私は「谢谢」と言って少し手に取ると、もっと取れと言う。私がまごついていると手のひら一杯の種を渡された。
その後、一緒に歩いていると、「お一人ですか(正確には何と言われたかわからないので日本語で記述)」などと聞かれ、会話が始まった。私が日本人だと告げると、你好や谢谢は日本語で何と言うか、日本のどこから来たのか、富士山は日本のどこにあるか等、他愛のない話が続いた。
女性が何か質問しているが何を言っているか分からないことがあった。それを引き取って、男性が「你几岁了?」と尋ねてくれたので、年齢を聞かれていることが分かり、答えることができた。彼女は多分「你多大了?」と尋ねてくれたのだと思う。中国語の基本的な表現だが、実際に尋ねられるとすぐに分からないものだ。
また、中国には最近2年間で5回旅行に来たことなどを話すと、「私たちより色々なところを旅行しているんですね」と、羨ましい様子だった。仕事について聞かれたのに答えて、「不做工作」と言った所、「どうやってお金を稼ぐのですか」と、とてもびっくりされた。退職に相当する中国語が思い浮かばず、説明も難しいので、何も答えられなかった。その後、「我很高兴见面你们」と私が言うと、「我们也很高兴」と答えてくれた。



岳麓山の景勝地から出た後、彼らと一緒に近くにある岳麓書院に向かった。書院は昔の中国の最高学府で、ここは中国四大書院の一つに数えられる史跡だ。私は中国の電話番号が無いので、窓口に並んでチケットを購入するのに時間がかかってしまった。ようやく入場した所、彼らは私を待っていてくれたので、とても有り難く思った。
書院を一通り見学した後、私がトイレに行っている間に彼らと別れてしまった。きちんと挨拶ができなかったのは心残りだった。

by Dagui

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toyochu

最終更新日:2025年11月08日